塩田:高田さんが長崎県にある壱岐島に移住して、壱岐イルカパークの再建を始めたのは今から2年ほど前だと伺っています。それまでの経緯を教えてください。
高田:私はもともと内閣府と一緒に、日本の領土や経済水域を守るため、国境離島を活性化させるプロジェクトに取り組んでいました。過疎化が進み、経済的にも縮小が進む離島を活性化させる方法を探るため、20以上の島を回り、その一つとして訪れたのが壱岐島だったんです。
島を訪れた時、職員の方から「島が誇る数少ない観光施設のうちの一つであるイルカパークが潰れるかもしれない。なんとかして欲しい」と相談されました。詳しい話を伺いつつ現地視察を行いましたが、正直、経営再建は難しいと感じました。一番の問題はそもそも稼ぐつもりで施設をつくっていなかったこと。年間3,000万円もの赤字が24年間続いていたんです。
ただ、壱岐島の職員の方々は、子どもの時から慣れ親しんだ施設をもう一度盛り上げたい、という熱い想いを持っていて、イルカパークを起爆剤に島全体を活性化したいとも考えていました。職員の方々の想いに根負けし、経営状況の中身をよくよく見てみると、売上が上がらないのは単価が安いからで、年間2万人以上のお客様が来園しているという事実にポテンシャルを感じました。熱意に賭けてみよう、と国の地方創生推進交付金を受け取れるよう一緒に企画を練り始めました。
これまでの経験から、島全体を盛り上げるには「点」ではなく「面」で考えるのが必要だということはわかっていました。島全体で観光客が減っているのに、特定の施設だけ見直しても意味がないのです。そこで立てたのはイルカパーク再建計画ではなく、島全体の観光客誘致のための計画でした。
作成した企画書を送った結果、島全体まで範囲を広げると大きすぎて話がまとまりにくくなる可能性があるということで、イルカパーク再建に絞ったプランになりましたが、国から交付金をもらえることになりました。私の仕事はコンサルティングでしたので、細かい部分を詰めた後は別の方に壱岐イルカパーク運営会社の社長になってもらうつもりでした。ただ事情があって想定していた方の社長就任が難しくなり、市の職員から「高田さん、社長になってください」とお願いされました。
想定外のことで悩みましたが、結局、引き受けることにしました。決め手になったのは、これまでのコンサルタント業で感じていたモヤモヤとした気持ちでした。いくら良い提案ができたと思っても実際の実行フェーズまでは携われず、誰かに喜んでもらえているという実感が得にくかったのです。IKI PARK MANAGEMENT株式会社を設立し、住民票を壱岐に移して、本腰を入れて東京と壱岐の2拠点生活をスタートしました。
現在は国から助成金をもらって事業を立て直す3ヶ年プロジェクトを進行中で、2020年がプロジェクト最後の年です。