畠中:今代司酒造様は、江戸時代から約250年続いているとお伺いしています。創業時からどのような変遷をたどってこられたのでしょうか。
佐藤:1767年の創業当時は、ここから車で10分くらいの所にある、「日本三大花街」の一つに数えられた「古町(ふるまち)」で商売を営んでいました。古町は老舗の料亭がひしめく、いわゆる「おもてなしの街」。そこで創業当初は旅館業や酒の卸業など、サービス業を営んでいたんです。
酒造りを始めたのは、今からおよそ120年前の明治中期。それまでおもてなしを軸に商売をしていたところから、自ら酒造りを行う清酒製造業に移行。また、同じタイミングで、現在の場所に移動してきました。ここは、かつて阿賀野川の支流である栗ノ木川が近くに流れていた地域であり、新潟港に近いこともあって、ものの集積地だったんです。酒蔵以外にも醤油蔵や味噌蔵、納豆蔵など多くの発酵食が栄えた地域でした。
酒造りを始めてからは、花街の料亭などを中心に、造ったお酒を卸していたそうです。料亭の方は、味に厳しいいわゆる職人肌の方が多いので、料亭に味を鍛えていただき共に成長してきたという歴史があります。
畠中:長い歴史を積み上げて来られたんですね。酒造りにおいて、当時から大事にされていることはありますか。
佐藤:当時の思いは継承していきたいと思っていますね。一昔前ですが、今ほど規則が厳しくなかった時代には、水で薄めた酒が当たり前だった時代もあったんです。薄めることで、酒蔵は利益を得ることができ、またさらに酒屋も水で薄めて売ることができていたんですね。そんな中、今代司の酒は造った酒を薄めずに出荷していました。それが酒屋にも地元にも喜ばれ、愛されたそうです。当時から、「美味しいものを届けたい」という思いだけに集中して酒造りをしていた。人に喜んで欲しいというサービス業の精神を、持ち続けていたと思うんです。だから私たちも、人を喜ばせること、美味しい酒造りにはこだわりを持っています。
こうして現在の酒造りに至りますが、他の大きなブランド力のある酒蔵とは競うことを意識するのではなく、独自のコンセプトを守りながら酒造りをしています。コンセプトは「むすぶ酒」。味はもちろん、多くの人に喜んでもらうために、「日本酒を楽しむ場づくり」にも力を入れています。
例えば、駅から徒歩圏内にある立地を生かし、蔵をオープンにしています。酒蔵は設備面であったり、つくりに集中したりと、いろいろな理由で閉ざしている蔵も多く、それは極当たり前のことではあるのですが、私たちは実際につくりの現場であったり、敷地内を逆に見てもらうことで日本酒の魅力に触れてもらおうと多くの見学を受け入れています。受け入れには体力も必要ですが(笑)、実際に来て見てもらい、自ら新しい異文化体験をすることで、ファンになってくれる人も多いですからね。また、全国で試飲販売会を開催するなど、ファンの方と交流する場もできる限り設けています。全国の日本酒ファンや日本酒に興味を持ち始めた方々と一緒に成長できる場を作りたいと思っています。